みよし市ホームページ > みよしキッズページ > みよし市(し)ってどんなところ?
最終更新日:2023年8月24日
ここから本文です。
北緯(ほくい)35度(ど)5分(ふん)25秒(びょう)、東経(とうけい)137度(ど)4分(ふん)29秒(びょう)
愛知県(あいちけん)のほぼ中央(ちゅうおう)に位置(いち)し、面積(めんせき)は32.19㎢(へいほうキロメートル)です。最高地(さいこうち)は海抜(かいばつ)147.62m(メートル)(黒笹町(くろざさちょう)三ヶ峯(さんがみね))、最低地(さいていち)は16.90m(メートル)(福田町(ふくたちょう)川端(かわばた))。名古屋市(なごやし)にも豊田市(とよたし)にも近(ちか)く、豊(ゆた)かな自然(しぜん)と快適(かいてき)な環境(かんきょう)が広(ひろ)がっていて、人(ひと)がとても暮(く)らしやすいまちです。
みよし市(し)には現在(げんざい)、男性(だんせい)が 3万(まん)1,524人(にん)、女性(じょせい)が 2万(まん)9,961人(にん)、合(あ)わせて6万(まん)1,485人(にん)が暮(く)らしています。2023(令和(れいわ)5)年(ねん)1月(がつ)1日(にち)現在(げんざい))。町(ちょう)になったばかりの1958(昭和(しょうわ)33)年(ねん)4月(がつ)には、9,043人(にん)でしたので、65年(ねん)でおよそ6.8倍(ばい)に発展(はってん)しています。
1889(明治(めいじ)22)年(ねん)全国(ぜんこく)で町村制(ちょうそんせい)が始(はじ)まり、「三好村(みよしむら)」「莇生村(あざぶむら)」「明越村(あけこしむら)」の3つの村(むら)が誕生(たんじょう)しました。「みよし」というのは江戸時代(えどじだい)、合併(がっぺい)前(まえ)の三好村(みよしむら)にあったさらに小(ちい)さな三吉(みよし)という村(むら)の名前(なまえ)が由来(ゆらい)だといわれています。1906(明治(めいじ)39)年(ねん)にこの3つの村(むら)が合併(がっぺい)し新(あたら)しい三好村(みよしむら)になりました。
1958(昭和(しょうわ)33)年(ねん)4月(がつ)1日(にち)、三好村(みよしむら)が町(まち)となって三好町(みよしちょう)になり、2010(平成(へいせい)22)年(ねん)1月(がつ)4日(にち)みよし市(し)が誕生(たんじょう)しました。
1959(昭和(しょうわ)34)年(ねん)2月(がつ)に決(き)まった町章(ちょうしょう)を引(ひ)き継(つ)いで市章(ししょう)としています。みよしのまちがいつも平和(へいわ)であるようにとの願(ねが)いをこめて、ひらがなの「み」の字(じ)を円(まる)くおさめる形(かたち)でデザインされました。また、勤労(きんろう)と勤勉(きんべん)を大事(だいじ)にする気持(きも)ちを、鎌(かま)と鋤(すき)の形(かたち)で表(あらわ)してもいます。
1973(昭和(しょうわ)48)年(ねん)7月(がつ)、三好(みよし)のシンボルにふさわしい「町(まち)の木(き)」についてアンケート調査(ちょうさ)を行(おこな)った結果(けっか)、大空(おおぞら)に向(む)かって力強(ちからづよ)く伸(の)びるミカワクロマツが選(えら)ばれ、市(し)となった現在(げんざい)も市(し)の木(き)としています。
毎年(まいとし)6月(がつ)ごろにみよしのまちを美(うつく)しく彩(いろど)るサツキの花(はな)。市民(しみん)の人気(にんき)が高(たか)く、市(し)の木(き)と同時(どうじ)に決定(けってい)されました。
トヨタ自動車(じどうしゃ)の4つの工場(こうじょう)など自動車関連(じどうしゃかんれん)を中心(ちゅうしん)におよそ200の工場(こうじょう)があり、日本(にほん)の基幹産業(きかんさんぎょう)である自動車産業(じどうしゃさんぎょう)を支(ささ)えています。
みよし市(し)にはおよそ300の商店(しょうてん)があり、市民(しみん)の暮(く)らしを支(ささ)えています。
温暖(おんだん)な気候(きこう)と肥沃(ひよく)な土地(とち)に恵(めぐ)まれたみよし市(し)は農業(のうぎょう)がさかんで、特(とく)に南部(なんぶ)には果樹園(かじゅえん)が広(ひろ)がっています。特(とく)にカキ・ナシ・ブドウはまちの特産物(とくさんぶつ)として知(し)られています。