みよし市ホームページ > みよしキッズページ > みよしの歴史(れきし)をもっと知(し)ろう
最終更新日:2023年9月27日
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みよし市(し)の付近(ふきん)は、古代(こだい)、三河国(みかわこく)西加茂郡(にしかもぐん)と呼(よ)ばれていました。
5世紀(せいき)(古墳(こふん)時代(じだい))から15世紀(せいき)(室町(むろまち)時代(じだい))まで、900年(ねん)にわたって猿投山(さなげやま)西南(せいなん)の広(ひろ)い地域(ちいき)で、焼き物(やきもの)の窯(かま)が築(きず)かれ陶磁器(とうじき)が生産(せいさん)されました。猿投窯(さなげよう)と呼(よ)ばれ、みよし市(し)では黒笹(くろざさ)地区(ちく)を中心(ちゅうしん)に多(おお)くの窯跡(ようせき)が発掘(はっくつ)されています。猿投窯(さなげよう)の製品(せいひん)は品質(ひんしつ)がよいため、都(みやこ)をはじめ全国(ぜんこく)各地(かくち)に運(はこ)ばれ、日本(にほん)最大(さいだい)の生産地(せいさんち)となり栄(さか)えました。
福谷(うきがい)にある福谷城址(うきがいじょうし)、福谷城(うきがいじょう)は、15世紀(せいき)の後半(こうはん)、この地域(ちいき)の豪族(ごうぞく)である原田右衛門太郎氏重(はらだうえもんたろううじしげ)が築(きず)いたとされています。1556~1559(弘治(こうじ)2~永禄(えいろく)2)年(ねん)、当時(とうじ)は今川義元(いまがわよしもと)に従(したが)っていた松平元康(まつだいらもとやす)(後(のち)の徳川家康(とくがわいえやす))の家臣(かしん)、酒井忠次(さかいただつぐ)が城(しろ)を修築(しゅうちく)して守備(しゅび)。織田信長(おだのぶなが)の家来(けらい)だった柴田勝家(しばたかついえ)の攻撃(こうげき)を何度(なんど)も退(しりぞ)けたと伝(つた)えられています。
江戸時代(えどじだい)、現在(げんざい)のみよし市(し)の地域(ちいき)にはいくつもの村(むら)がありました。
1889(明治(めいじ)22)年(ねん)全国(ぜんこく)に町村制(ちょうそんせい)が施行(せこう)され、現在(げんざい)のみよし市(し)の地域(ちいき)には、三好村(みよしむら)(三好(みよし)、西一色(にしいしき)、福田(ふくた))、莇生(あざぶ)村(莇生(あざぶ)、福谷(うきがい)、黒笹(くろざさ))、明越村(あけこしむら)(打越(うちこし)、明知(みょうち))の3つの村(むら)ができました。
1906(明治(めいじ)39)年(ねん)三好村(みよしむら)、莇生(あざぶ)村、明越村(あけこしむら)の3つの村(むら)が合併(がっぺい)して三好村(みよしむら)となりました。
1920(大正(たいしょう)9)年(ねん)に初(はつ)の国勢調査(こくせいちょうさ)が行(おこな)われ、三好村(みよしむら)の人口(じんこう)は6,175人(にん)と分(わ)かりました。
1929(昭和(しょうわ)4)年(ねん)8月(がつ)、大提灯(おおぢょうちん)まつりが始(はじ)まりました。
1944(昭和(しょうわ)9)年(ねん)12月(がつ)7日(か)マグニチュード7.2の東南海地震(とうなんかいじしん)により、三好村(みよしむら)でも各地(かくち)で家屋(かおく)が倒壊(とうかい)、福谷(うきがい)の二号池(にごういけ)が決壊(けっかい)しました。
1945(昭和(しょうわ)20)年(ねん)1月(がつ)13日(にち)東南海地震(とうなんかいじしん)の余震(よしん)と見(み)られる三河地震(みかわじしん)により、三好村(みよしむら)にも大きな被害(ひがい)が出(で)ました。
1958(昭和(しょうわ)33)年(ねん)4月(がつ)三好村(みよしむら)は三好町(みよしちょう)となりました。
1959(昭和(しょうわ)34)年(ねん)4月(がつ)18日(にち)、愛知用水(あいちようすい)の貯水池(ちょすいち)として「三好池(みよしいけ)」が完成(かんせい)しました。9月(がつ)26日(にち)、伊勢湾台風(いせわんたいふう)が愛知県(あいちけん)を襲(おそ)い、三好町(みよしちょう)でも死者(ししゃ)4人(にん)、家屋(かおく)全壊(ぜんかい)12世帯(せたい)の被害(ひがい)が出(で)ました。
1961(昭和(しょうわ)36)年(ねん)愛知用水(あいちようすい)が通水(つうすい)し、みよし市(し)の農業(のうぎょう)にとっては水不足(みずぶそく)の心配(しんぱい)をなくしたばかりでなく、工業用水(こうぎょうようすい)として工場(こうじょう)が進出(しんしゅつ)する要因(よういん)となり、市(し)のその後(ご)の発展(はってん)の大(おお)きな土台(どだい)となりました。
1968(昭和(しょうわ)43)年(ねん)4月(がつ)、東名高速道路(とうめいこうそくどうろ)が開通(かいつう)し、7月(がつ)にはトヨタ自動車(じどうしゃ)三好(みよし)工場(こうじょう)が完成(かんせい)しました。
1971(昭和(しょうわ)46)年(ねん)、人口(じんこう)が2万人(まんにん)を超(こ)えました。
1973(昭和(しょうわ)48)年(ねん)、町(まち)の木(き)「ミカワクロマツ」と町(まち)の花(はな)「サツキ」が決定(けってい)されました。
1975(昭和(しょうわ)50)年(ねん)3月(がつ)、三好町町民憲章(みよしちょうちょうみんけんしょう)が制定(せいてい)されました。
1979(昭和(しょうわ)54)年(ねん)7月(がつ)29日(にち)、名鉄(めいてつ)豊田線(とよたせん)が開通(かいつう)し、三好ケ丘駅(みよしがおかえき)、黒笹駅(くろざさえき)が開業(かいぎょう)しました。
1982(昭和(しょうわ)57)年(ねん)7月(がつ)に豊田知立線(とよたちりゅうせん)バイパス(三好下(みよししも)・福田(ふくた)地内(ちない))が開通(かいつう)しました。
1984(昭和(しょうわ)59)年(ねん)6月(がつ)2日(か)、三好公園総合体育館(みよしこうえんそうごうたいいくかん)が開館(かいかん)しました。
1987(昭和(しょうわ)62)年(ねん)国道(こくどう)153号線(ごうせん)豊田西(とよたにし)バイパス(三好(みよし)~東郷(とうごう)間(かん))が開通(かいつう)しました。
1989(平成(へいせい)元(がん))年(ねん)9月(がつ)、町(まち)の人口(じんこう)が3万人(まんにん)を超(こ)えました。第一回(だいいっかい)「アートタウン三好(みよし)彫刻(ちょうこく)フェスタ」が開催(かいさい)されました。
1993(平成(へいせい)5)年(ねん)3月(がつ)22日(にち)、東名高速道路(とうめいこうそくどうろ)に東名三好(とうめいみよし)インターチェンジが完成(かんせい)し、一段(いちだん)と便利(べんり)になりました。
1993(平成(へいせい)5)年(ねん)8月(がつ)、町制(ちょうせい)施行(せこう)35周年(しゅうねん)を記念(きねん)して、第一回(だいいっかい)「三好(みよし)いいじゃんまつり」が行われました。
1994(平成(へいせい)6)年(ねん)夏(なつ)と秋(あき)、愛知県内(あいちけんない)で「わかしゃち国体(こくたい)」が開催(かいさい)され、三好町(みよしちょう)ではカヌーレーシング競技(きょうぎ)とハンドボール競技(きょうぎ)が行(おこな)われました。
1996(平成(へいせい)8)年(ねん)人口(じんこう)が4万人(まんにん)を突破(とっぱ)しました。
2001(平成(へいせい)13)年(ねん)三好町民病院(みよしちょうみんびょういん)がオープンしました。
2002(平成(へいせい)14)年(ねん)人口(じんこう)が5万人(まんにん)を突破(とっぱ)しました。
2004(平成(へいせい)16)年(ねん)世界(せかい)カヌーポロ選手権大会(せんしゅけんたいかい)が行(おこな)われました。
2005(平成(へいせい)17)年(ねん)愛知万博(あいちばんぱく)「三好町(みよしちょう)の日(ひ)」でおよそ住民(じゅうみん)1,100人(にん)がまちの伝統芸能(でんとうげいのう)などを披露(ひろう)して、みよしの良(よ)さを来場者(らいじょうしゃ)にアピールしました。
2006(平成(へいせい)18)年(ねん)三好村(みよしむら)誕生(たんじょう)から100周年(しゅうねん)を迎(むか)えました。
2010(平成(へいせい)22)年(ねん)1月(がつ)4日(か)、三好町(みよしちょう)がみよし市(し)となりました。